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思い出の部屋

ジミー・スミス

 

ブルーノートが出来てから毎年2回は来日していたので数十回B-3をレンタルしそれだけ顔を合わせています。最初はおっかなかったが、最後の方は僕がリハーサルに行かなかったら今日は山本は来ないのか?とスタッフに尋ねるほど仲がよくなっていました。
亡くなる前に来日したときはリバーブ付きのB-3を貸して欲しいと言うほど弱っていました。

何回も見た中で最高だったのは90年代中頃に戎橋のたもとにあったキリンプラザでレコーディングライブを2日間に渡ってした時です。記録に残るので冗談を言わず全力で演奏していました。
その時のCDがザ・マスター1と2です。

エピソード1

新品同様のB-3をレンタルした時は喜んでわざわざマネージャーとして同行してた奥さんからもいいB-3を貸してくれてジミーも喜んでいると伝えてくれました。

エピソード2

公演初日の演奏が終わってからレスリーの調子が悪いので明日朝立ち会うので直しに来いとブルーノートから連絡があったのでサービスマンを連れて直しに行きました。たいし
た故障ではなかったのですが、治すとご機嫌で自分で買って来たフライドチキンをお前も食べろと一緒に食べましたがタバスコを一杯かけるのでたくさん食べれなかったです。

ブラザー・ジャック・マクダフ

90年代後半にフィル・アップチャージとのソウルサバイバーで来日した時、途中で若手のドラムクリス・パーカーとドラムとデュオでサマータイムを弾きましたがこれが堪らなくカッコよかったです。ショーが終了後一緒に見てた酒井潮さんと向かいのドンショップへ行きピアノとオルガンを入れ替わりながらセッションしたのもいい思い出です。
2000年1月には京都のるクラブジャズで1部は橋本有津子さん2部は小野みどりさんがゲストとして入りライブをしました。この時は亡くなる1年前だったのでだいぶ弱っていて空港に迎えに行った時は車椅子で来ました。

エピソード1

 90年代後半に来日した時はまだ元気で昔のジャズミュージシャンそのままでタバコは両切りのタバコをスパスパ吸い、酒はウオッカをストレートで飲んでいました。

エピソード2

2000年に来日した時は車イスで来るくらいですから相当体も弱っていて、少しアルツハイマーも入っていました。

京都のホテルでメンバーと奥さんと5人で食事をした時、自分が注文した食事が一番早く来て食べ終わってから皆の食事が来て食べていたら、俺の頼んだ食事はまだか?と言って皆で大笑いしました。

ジミー・マクグリフ

とは生前3回あい演奏を聴きました。
最初は福岡ブルーノートにハンク・クロフォードと双頭バンドで来た時、この時は矍鑠としていてB-3とピアノを並べB-3の左手ベースでピアノを弾くという芸当もしていました。

2回目は97年のサンフランシスコジャズフェスで小野みどりと共演した時、この時は筋萎縮症の症状が少し進んでいて歩くのが不自由そうでした。

3回目はジョーイ・でフランチェスコ、ルーベン・ウイルソンでオルガンサミットで来日した時この時は筋萎縮症が相当進んでいてブルーノート控え室から舞台までも車イス移動で、舞台にも車イスごとあげました。

エピソード1

最初に来日した福岡ブルーノートにB-3を貸した時、リハーサルに立ち会ってたらオル ガンの調子が悪いので治してほしいとどこがおかしいか聞くとベースが一音出ない?弾いてみると音は出ています。

出てますよと反論すると、違う音は出てるが他列接点の音になってない!

たしかにその一音だけ音が軽い(B-3は他列接点の方式で鍵盤をゆっくり押すと高い音から順番に低い音まで聞こえるようになっています。)一音だけ故障でこれになっていなかったのです。左手でベースを弾くので足ベースはさほど重要視していないのかと思ってましたが、マクグリフは左手と左足でユニゾンで弾くのでこの故障がバレました。

エピソード2

性格のよい紳士で小野さんとサンフランシスコジャズフェスで共演した時、誰もが小野さんのことをリトルガールと呼んでいたのにマクグリフだけはレディと呼んでいました。

ドクター・ロニー・スミス

80年代の後半か90年代の初めに京都のラグで初めて生演奏を聴きましたが度肝を抜 かれました。レコードを聞く限りジミー・スミスの亜流だと思っていたのですがジミー・スミスの呪縛から抜け出し完全に自分のスタイルを作っていました。

上下鍵盤足鍵盤の端から端まで全て使い、レスリーの切り替えも度々、で音量スイッチのソフト・ノーマルの切り替えもしていました。

2000年には私がロニーさんを呼び京都、名古屋、熊本、大阪(3ケ所)でツアーをしロニーさんの十八番Play's It Backを毎回聞かせてもらいました。非常にお洒落で毎回ターバンとそれにあう服をコーディネートしていました。

エピソード1

熊本でコンサートをした時公共のホールでしたのですが閉館時間が迫りホールの人から 早く終わらないと電源を切ると脅かされた僕はロニーさんに終わりの合図を出すのですが、ノってたロニーさんは延々とロニー節を演奏し閉館時間をはるかにオーバーし超過時間をとられました。

エピソード2

大変親子丼が好きで親子丼さえ食べさせていたら機嫌がよかったです。焼き鳥を食べに 言ってもシメは親子丼です。
親子丼定食を頼んでうどんと一緒に食べたこともありました。

エピソード3

若い時から白髪で白髪を長く伸ばしていて杖をついているので若い時から老人に見られます。アメリカでジャック・マクダフと(マクダフも後年は杖をついていました)地方でコンサートをした時、コンサートには若い時の写真を使っていたので、2人が杖をついて舞台に出たらマクダフとロニー・スミスのお爺さんがやって来たと騒ぎになったことがあるらしい。

ロニーさんの場合はターバンの雰囲気にあわせて杖をついていて足は悪くはありません。それが証拠に大阪で食事をした時(この時は寿司)食べ終わってコンビニによった時ろにーさんが杖をさっきの寿司屋に忘れたと走って取りに行きました。

ジョーイ・デフランチェスコ

90年代にジョン・マクラフリン、デニス・チェンバースのトリオで初来日した時から 度々B-3をレンタルし演奏を聴きました、2001年にジミー・スミスとサンフランシスコで共演した時も聴きに行き会いましたが喜んでくれてご両親も紹介してくれました。

陽気なイタリアンで気さくな男です。

エピソード1

90年代に来日した時は今のように肥えてなくCBSソニーと契約していたので外見も気にしていて酒も飲まず一緒に飲んでいてもダイエットコークを一人だけ飲んでいましたが、次に会った時はCBSソニーとの契約も切れたのでその反動か飲めや食えで会うたびに巨大化しています。

エピソード2

とにかくB-3が好きで23台所有していて自宅のどの部屋にもB-3がありその他アメリカ各地に預かってもらってると言ってました。

エピソード3

とにかくB-3を弾くのが好きでブルーノートのショーが終わってから向かいにあったドンショップで朝方まで全力投球で弾きまくりブルーノートの演奏より本領を発揮していました。

ラリー・ゴールディングス

90年代から2000年初頭までよく大阪にも来てよくあっていたのですが、最近は会っていません。今やアメリカのオルガニストはラリーのスタイルを真似するクールなオルガニストが多いです。

エピソード1

メシオ・パーカーのバンドで初来日した時美品のB-3を貸したらこんな綺麗なB-3を貸してくれてありがとうと言ってくれ、そのB-3にサインをしてくれと頼んだらこんな綺麗なB-3にサインをとためらっていましたが、いいからしてくれと頼むと小さな字でしてくれました。

エピソード2

大変真面目で酒もタバコもやりません。

福岡ブルーノートにB-3を貸した時、その後大阪に来るので大阪に来た時ショーを見に行くので終わってから飲みに行こうと約束してたら、最終日に大阪のブルーノートに行ったら舞台の上から私を探し合図をしたら私を見つけ微笑んだ姿に義理堅さを感じました。

トニー・モナコ

初来日した時大阪で2ヶ所、京都で1ヶ所、名古屋で1ヶ所のライブをプロモートし親しくなりました。

その時の焼き鳥屋でしたライブは今や伝説になっています。

飲んで食うたお客さんが踊りまくって(トニーが演奏で踊らせ)焼き鳥屋がクラブかディスコに変わるほどでした。実際トニーもこんな愉快なライブはアメリカやヨーロッパでも経験したことがないと言ってました。

2回目に大阪に来た時ネオ君をシットインさせるとネオ君の演奏を聞いたトニーはアメージングを連発し世界中でこれだけジャズを弾ける子供はネオだけだと褒めちぎっていました。

エピソード1

初来日した時はアメリカNO,1ファンキージャズオルガニストの異名通り酒をよく飲みタバコもよく吸い昔のジャズミュージシャンの雰囲気を漂わせていて、僕と2人で朝から飲みながらツアーをまわりましたが数年後にあった時はヒゲも剃り身なりもきちっとしてタバコも酒も止めていました。

理由を聞くと若い日本人の奥さんをもらったから長生きしたいためのようです。